リーマン・ブラザーズの概要と歴史
リーマン・ブラザーズは、1850年にドイツ系ユダヤ人移民のヘンリー・リーマンによって設立された米国の投資銀行です。
綿花取引から始まり、その後、証券取引や投資銀行業務へと事業を拡大しました。20世紀後半には、世界有数の投資銀行として知られるようになりました。
主な事業内容
- 投資銀行業務:企業の合併・買収(M&A)や株式・債券発行の引受
- トレーディング:株式、債券、為替、商品などの自己勘定取引
- 資産運用:個人や機関投資家向けの資産管理サービス
- プライベート・エクイティ:未公開企業への投資
リーマン・ブラザーズの成長と拡大
1990年代から2000年代にかけて、リーマン・ブラザーズは積極的な事業拡大を行いました。特に、住宅ローン担保証券(MBS)や債務担保証券(CDO)などの証券化商品に注力し、高い収益を上げていました。2007年には、過去最高の純利益を記録しています。
経営危機と破綻
2007年のサブプライムローン問題を契機に、リーマン・ブラザーズの経営は急速に悪化しました。MBSやCDOの価値が暴落し、巨額の損失を抱えることになりました。2008年9月15日、連邦破産法第11章の適用を申請し、破綻しました。この破綻は、世界金融危機の引き金となりました。
リーマン・ブラザーズ破綻の影響
- 世界的な信用収縮:金融機関同士の取引が停滞し、企業や個人への融資も縮小
- 株式市場の暴落:世界中の株式市場が大幅に下落
- 実体経済への波及:企業の倒産や失業率の上昇など、実体経済にも大きな影響
- 金融規制の強化:金融機関に対する規制が世界的に強化される契機に
リーマン・ブラザーズ破綻後の処理
破綻後、リーマン・ブラザーズの資産は分割して売却されました。北米の投資銀行・資本市場部門はバークレイズに、アジア太平洋地域、欧州、中東の大部分の事業は野村ホールディングスに売却されました。破産処理は複雑で長期化し、債権者への返済は現在も続いています。
教訓と影響
リーマン・ブラザーズの破綻は、金融システムの脆弱性と過度なリスクテイクの危険性を浮き彫りにしました。
この事件を契機に、金融機関のリスク管理や規制のあり方が見直され、グローバルな金融システムの安定性向上に向けた取り組みが強化されました。
次に、リーマンショックの主な原因について解説いたします。
リーマンショックの主な原因
- サブプライムローンの拡大:信用力の低い借り手への住宅ローン貸付が急増し、それらを証券化して投資商品として販売した。
- 住宅バブルの崩壊:米国の住宅価格が急落し、多くの住宅ローンが不良債権化した。
- 金融商品の複雑化:MBSやCDOなどの複雑な金融商品が広く流通し、リスクの所在が不透明になった。
- 過度なレバレッジ:金融機関が過剰な借入れを行い、リスクの高い投資を拡大した。
- リスク管理の不備:金融機関や格付け会社がリスクを適切に評価・管理できていなかった。
- 金融規制の緩和:1999年のグラス・スティーガル法の廃止など、金融規制緩和が過度なリスクテイクを助長した。
- 低金利政策:長期にわたる低金利政策が、リスクの高い投資を促進した。
- 金融機関の「大きすぎてつぶせない」という認識:大手金融機関が政府に救済されるという期待が、過度なリスクテイクを助長した。
これらの要因が複合的に作用し、金融システム全体の脆弱性を高め、最終的にリーマン・ブラザーズの破綻を契機として世界的な金融危機へと発展しました。