ポール・サミュエルソンとは
ポール・アンソニー・サミュエルソン(1915年 – 2009年)は、アメリカ出身の著名な経済学者で、顕示選好の弱公理、ストルパー=サミュエルソンの定理、サミュエルソン=ヒックスの乗数・加速度モデル、バーグソン=サミュエルソン型社会厚生関数、新古典派総合などの理論で知られています。
彼は第1回ジョン・ベイツ・クラーク賞(1947年)と第2回ノーベル経済学賞(1970年)の受賞者でもあります。
略歴
サミュエルソンは1915年にインディアナ州ゲーリーでユダヤ人家庭に生まれました。彼は1932年に16歳でシカゴ大学に入学し、1935年に卒業。その後、1936年にハーバード大学大学院に進学し、1941年に博士号を取得。
シカゴ大学でシカゴ学派から価格理論を学び、ハーバード大学で数学や物理学を修めたことが、彼の理論的性格に影響を与えたと言われています。彼は2009年にマサチューセッツ州の自宅で94歳で亡くなりました。
マルクス経済学批判
サミュエルソンは、カール・マルクスの経済理論であるマルクス経済学を批判していました。
彼は、労働価値説や搾取理論に関して疑問を呈し、マルクスの窮乏化予言や分配論についても批判的でした。また、彼はマルクス主義の追随者たちが「科学」として唯物史観や階級闘争の政治理論を掲げることに対して疑問を投げかけていました。
逸話
サミュエルソンには数々の逸話があります。例えば、ハーバード大学の博士試験で、試験官のワシリー・レオンチェフに「我々はサミュエルソンから合格点をもらえただろうか」と言われたという話や、数学が苦手だったシュンペーター教授がサミュエルソンの数学の授業を受講したという逸話が存在します。
さらに、経済学者の佐和隆光は、1969年にノーベル経済学賞が設立されたのはサミュエルソンにノーベル賞を与えるためだという説もあると述べています。
佐和は、サミュエルソンのノーベル経済学賞受賞について、彼の近代経済学への貢献が非常に大きく、二十世紀後半の経済学が彼の描いたシナリオ通りに展開したため、経済学のノーベル賞が成立し、彼がノーベル経済学賞を受賞したのは当然だと述べています。